桃鳩図 ~ 痩金体
長男は、現在知立のお寺にお世話になりながら美術の予備校に通っている。
彼は高校の書道部を引退して以来 ほとんど書に親しむ時間を持てずにいたが、
お寺には月に一度 鹿児島から書家の鮫島先生が教えに来られているので、
有難くも早速習うことになった。
絵を描くのなら、、と最初に手本として先生が選んでくれた書体は、『痩金体(そうきんたい)』
初めて聞いた書体である。
900年ほど前、北宋の皇帝・徽宗(きそう)が26歳の時に考案した書体で、細くて硬くて力強い線が特徴。
なんとそれは雑誌などでよく見かける国宝『桃鳩図』の作者だった。
その桃鳩図の右側に書いてあるのが徽宗直筆の痩金体である。
◇他の痩金体・・
長男が言うには、この世の始まりからこの世の終わりまでをこの痩金体で書いてあるものがあって
それを手本に書くとのこと。 どんなことが書いてあるのか、内容も面白そう。
書はどこまでも奥深く、あらためて中国は凄い!と思う。
このような素晴らしい過去の文化を持っておきながら何故・・
中国はもっと過去の文化を現代に生かしてもらいたいと願う。
ところで皇帝としての徽宗は、自らの芸術の糧とするために 庭園造営に用いる大岩や木を
遠く南方より運河を使って運ばせたり、芸術活動の資金作りのために、後に『水滸伝』の悪役
として有名な蔡京や宦官の童貫らを登用して民衆に重税を課した。
このような悪政によって民衆の恨みは高まり、方臘の乱を初めとした民衆反乱が続発する。
こうした反乱指導者の中に山東で活動した宋江と言う者がおり、これをモデルにした講談から
発展して誕生したのが『水滸伝』である。 (Wikipediaより)
by ukishimakan
| 2012-08-19 08:33
| 書